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Muchonovski always get it wrong

なにが なんとも。どれが どうでも。

人種同一性障害について

このエントリは、

中二病? 米国少女「私は人種同一性障害で、中身は日本人」海外の反応 - マグナム超誤訳!

をめぐる、id:rna さんへのリプライです。ブコメチェーンで延々書くよりまとめたほうがいいかと思い、エントリにしました。

まずGIDに関して、脳の性分化、胎児期のホルモンシャワー、特定の脳領域のサイズ…といった生物医学的な説明のしかたは、当事者コミュニティの内部では近年つとに控え目になってきているように感じます。その理由として、ひとつには、もともとこうした論拠が当事者にあまねく説得力や肯定的実感を得ていたわけではないということもあるでしょうけど、もうひとつには、そうした語りにはネガティブな影響のほうが大きいと懸念されているからではないかと思います。具体的には:

  • そうした主張が、ひるがえってGIDの診断に使われるリスクがあるから。生物医学的根拠を強く訴えるほど、「真のTSG」と「偽のTSG」を弁別する医学的指標として使われるリスクがある。当事者の生活課題の大きさとは無関係な要素が、TS/TGの「真正性」を決める基準になってしまう。
  • そうした生物医学的な本質主義は反LGBT派に容易に逆手に取られて、生育環境(母親の生活態度など)への非難や、「子どもをトランスにしない教育」の喧伝に向かうリスクがある。

などです。

TS/TGコミュニティの人々の多くは、日々感じている生活上の困難を解決する手段として、適宜GID診断、ホルモン投与、SRS適用などの介入を希望しているわけですが、その介入を正当化する変更困難性の根拠が必要だった時期に、生物医学的な説明も建前的に使ってきた面があると思っています。

GIDという〈障害〉やTS/TGという社会的状態が、その背景として生物医学的根拠を持ち出さなくても一定の医学的・社会的認知を得て、介入へ至る道筋が整備された現在、そうした語りに重点が置かれなくなるのは、ある意味自然なことだと思います(これは、社会的包摂の進行とともに「性的指向の生得性」という論点が強調されなくなっていったLGBギョーカイの事情と似てると思います)。

カウンターパートとなる医療側のほうでも、性自認の変更困難性はDSM(病因論を重視しない)に従い、基本的には自己申告・自分史+生活実態によって判断されていて、生物医学的根拠でSRS適応かどうかを判断したりはしていないと思います。個人的には、状況に応じて生物医学的根拠のウエイトを変えるという柔軟性も含めて、日本のTS業界の方々も、それをサポートする医療側・法制側の方々も、生活課題を解決するという目的に沿うかたちで大変うまくやってきたし、これからもそうあるべきじゃないかなと思っています。

で、先の女性のこのTumblrエントリ:

ゆき の ものがたり (Yuki's Story) - I am finally going to come out: I am a transethnic...

を読んでみると、自らのtransethnicityの変更困難性の主張・自己確信の表現・生活実態での裏付け・「カムアウト」「本当の自分に戻る」「LGBTQA+と違い、transethnicコミュニティは批判と非難にさらされている」「国籍齟齬(性別齟齬のパラフレーズ)」…などなどの訴え方が、かなりの部分で内外のTS/TGのコミュニティがこれまで培ってきたアイデンティティ・ポリティクスの語り口を下敷きにしており、その歴史的成果を考えると、にわかには却下しがたいものを感じたのでした。たとえばこんな感じ:

"I am finally going to come out: I am a transethnic Japanese woman."

"Unlike the LGBTQA+ movement, which I strongly and proudly support, insults and bashing is all the transethnic community gets. "

"I don’t know if being transethnic is biological or environmental-I can’t explain how it happens-but that doesn’t make it any less real."

" I don’t want to be transethnic; this isn’t a choice."

"Years of my life accumulated and I felt so out-of-place in an American white body. I finally had the confidence in myself to admit that my soul is Japanese."

"I can’t pretend and I won’t hide behind my body any longer. I am proud to be Japanese even if I wasn’t born that way, but this journey to become my true self isn’t easy."

"I’ve always experienced extreme nationality dysphoria, and recently realized it is ethnic dysphoria too."

…これらの語りの部分の「こなれてる」感とか、「ポリティカル・コレクトネスに刺さる」感は、彼女の将来的展望とか生活設計の幼さ---日本社会に再適応するために、学生の間はメイド喫茶で働き、将来は漫画家かラノベ作家になる(!!!)---と鮮やかな対比を見せてて、余計に彼女が「有効に使える言説的武器」としてトランスをはじめとするLGBTの語り口を援用・駆使してるんだな〜という印象がつのります。

自分は「だから彼女に何らかの医療的あるいは法的な介入措置を行うのが正しい」とは全然思ってなくて、「いいから少しもちつけ」というのが正直な所ですが、ブクマした通り「『あちらはOK、こちらはダメ』とする論拠って、意外と乏しいんじゃないかなあ…」という風には思ってます。もともと武器として洗練されすぎているので、他のアイデンティティ領域に水平展開されていったときにもそれなりの説得力があってヤバい、という感想だったのでした。

以上、とっちらかった感じの話で申し訳ありませんです。